白玉山 龍淵寺(御津郡建部町中田62)

本尊 日城聖人 

縁起
 中田白玉山に建立す。龍淵寺は永正二年(1505)金川城主松田左近将監元成の開基で、その弟大乗院日香聖人の開山という。創建当初は市場の旭川のほとりに建立され、近くにあった龍ヶ淵という深い渕に因んで、龍淵寺と称されたと伝わる。元の場所には、現在「木の入道」と名づけられた一角があり、龍淵寺旧跡として祀られている。創建当時は、本堂・祖師堂・鎮守堂・仁王門・庫裡等から成り、広大な寺領を有していたが、第四世の法華法印陽翁聖人が野山の妙本寺へ移住後、しばらく無住となった。元亀三年(1572)松田氏の滅亡に加えて檀家も減少し、また慶長三年(1598)には大火災にあい、建物、宝物等全部焼失してしまった。すでに廃寺になろうとした時、当時の宇垣郡佐波村妙国寺八世化城院日城聖人が再建、当山第五世となって、本堂・庫裡・塔中一坊を建立した。また九世日蓮聖人の時、慶安二年(1649)水害の心配をなくすため、市場の地から現在地へ移転されたという。寛文六年(1666)十一世日賢聖人の時、岡山城主池田氏の寺院淘汰の政策により、当山および末寺三カ寺は破却させられた。その後廃寺になることを憂え一万人講を勧誘募集し、延宝九年(1681)再建、京都妙覚寺の末寺となる。現在の本堂は昭和十二年再建、他に鐘楼・三十番神・常夜燈等がある。また境内には第五世化城院日城聖人の墓神を祀り、准宗宝として日城聖人御本尊、また聖人着用の金襴二十五条と修宗羅等を安置している。 

寺宝・文化財
・聖人着用の金襴二十五条
・修宗羅