泉福山 妙泉寺(御津郡建部町川田654)

本尊 

縁起
 川口野ロの岡中にある。妙泉寺は、天正二年(1574)寿福院日存上人の創立したもので、以前は豊楽寺の末寺となっていた。上人は、信徒により字岡中の地を寄進され、ここに改宗した泉福寺を移転して寺名を山号とし、新に泉福山妙泉寺と称したのが現今の寺である。日存上人開山以来不受不施主義の部分的宗義は最も盛大な時となり、寛文年中(1661〜1673)蓮住坊日運京都不受不施の名僧日船等と交わりを深め、宗勢を謀ったが、以来年を重ねるにつれ寺運衰退した。その中、享保十四年(1729)慈明院日信、明和四年(1767)圓妙院日念、同七年一乗院日重等が大いに挽回に努め、番神堂、菅原神社等の建立に力を残した。その後、大正五年(1916)第十五世寶圓が本堂を創立、同年五月十日、落成人仏の式を挙げ、仏像諸尊を修理造立したといわれる。