東光山 光林寺(高梁市中井町6897)

本尊 如意輪観世音菩薩

 岡山県の中央部やや西寄り、城下町として発展した高梁盆地に広がる旧高梁町を南北に貫流する高梁川沿いに走る国道180号線を北へ向かって進み、新見市の手前のJR伯備線方谷駅の正面に架かる中井川を渡り、約二キロほど渓谷沿いに進むと、右手の山の中腹に瓦葺きの伽藍が見えてくる。標高五九一メートルの秋葉山を背にして吉備高原の農家を見守るように東高山光林寺の甍が垂れている。まさに”山中の古刹”といった趣きである。

開基 延暦年間玄賓僧都

開山 大同二年弘法大師

縁起

 桓武天皇延暦十五年(七九六)、時の高僧・玄濱僧都がこの地を巡錫。現地から北へ役1キロ離れた岡寺の地で、森林の間に霊光を発しているのを不思議に思い、草庵を結び一小祠を設けて本地仏を安置したのが始まりで、玄賓僧都を開基としている。
 大同二年(807)弘法大師が中国地方を巡錫した砌にこの地に立ち寄り、風光明媚で景勝の現在地に、岡寺の草庵を移転し、真言密教の道場「東高山光林寺」を開いたのが始まりで、弘法大師を開山としている。爾来、現代の二十七世清水住職まで千百数十年に亘り、栄枯趨勢幾星霜を経て今日に密教の法燈を伝えている古刹である。
 現在の光林寺の伽藍は向かって左から壇信徒会館、護摩堂、山門、本堂、鐘楼堂、庫裡、位牌堂、鎮守を祀る秋葉堂が整然と並び、鐘楼と庫裡の間には見事な庭があり心和む。特に位牌堂(四間半X五間半)は平成二年に新設されたものである。また、会館は離郷檀徒がお盆などに墓参りで帰った時に宿泊できるように、との配慮から建立され、壇信徒から喜ばれ"心のふる里"となっている。
 同寺は転生四年(1576)十二月に火災に遭い、ほとんどの堂宇を消失。現在の建物は明治三十一年に建立されたものである。その中で唯一残ったものが現在の鐘楼堂である。梵鐘は残念ながら戦争で供出(昭和三十三年に再鋳)。鐘楼堂は文化財級で、時代の重みを感じさせる建造物である。
 境内には「ぼけ封じ観音」を安置、毎年四月二十九日の縁日はに、旧高梁町から団体バスで参拝してくるほどで、豊かな自然環境の中で信仰心を育んでいる。
 ところで、同寺は秋葉山系の山の中腹・標高約350メートル前後の地に建立されている。観光開発に侵されることもなく、自然をそのまま残し、境内から眺める風景はまさに絶景である。シーズンになると雲海が素晴らしく、およそ千百八十年前、弘法大師がこの絶景の地を選んで密教の道場とした往時を彷彿させる。

主な行事

正月 修正会
一月二日 護摩祈祷
毎月第一日曜日 護摩供
四月二十九日 ぼけ封じ観音縁日
八月十五日 本尊供
その他 春・秋彼岸会

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より