正等山 等覚寺(総社市小寺118)

本尊 聖観世音菩薩

吉備の宗教文化の一翼を担い、観音信仰を伝える

 JR吉備線の東総社駅の北側の住宅街に中にあるのが正等山等覚寺である。ここも総社市内の第十六番願満寺、第十八番桂林坊同様、”氏寺”の形態を残している。ただ、違うのは願満寺と桂林坊が一棟の建物であったのに比べ、同寺は狭い境内ながらも土塀で囲まれ山門を備え、本堂と庫裡などを備えている点である。どのような経緯か、今は知る術もないが、この地方に氏寺が数多く残されていることは、信仰の篤い土徳の地であったことの証明であろう。
 同寺も開基や歴史が詳びらかではない。『吉備郡誌』の「江戸時代の仏閣」の項には、「備中国分寺末」として登場する。現在の日照山国分寺は奈良時代の寺院跡に江戸期に再建された五重塔や客殿がある。天平十三年(741)、聖武天皇の勅願によって釈迦三尊を本尊として創建されたものである。近隣の寺院はこの国分寺末となっている寺院が多く、官寺として建立されたとはいえ、同寺を中心に吉備路に一台仏教文化の華を咲かせていたことは事実で、等覚寺もその一刹として、一翼を担った寺院であることが推測される。
 ここの本尊は聖観世音菩薩である。観音信仰は薬師信仰とならんで現世利益的な信仰として日本各地で、広く信仰されている。「観音経」によると三十三の姿に身を変えて現れ救済するといわれ、平安時代初頭から末期までナンバーワンだった阿弥陀如来に代わって、大衆の尊信を集めている菩薩である。
 中でも、同寺の本尊である聖観世音菩薩は、”六観音”の中に一つとして信仰を集め、慈悲深いその尊容は、母のような温かさをもって人々を包み込んでくれる。香り高いこの文化を誇る吉備の人々に同寺の本尊は、数多くの"慈悲心”を垂れたことであろう。
 また、同寺には幅約1.5メートルの地獄図が残されており、春秋には本堂に掛けられ、説法がなされていたという。吉備の人々に信仰ぶりを伝える逸話である。 

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より