瑠璃山 明光寺(総社市三須1591-1)

本尊 薬師如来

開基 理源大師聖宝

中興開山 応永六年増吽僧正

県下の薬師信仰の歴史、伝え

 国道180号線の国分寺交差点から倉敷方面に向かって県道を走り、西側の路地を入って、三須団地へ向かうと、瑠璃山明光寺へ行くことができる。同寺は現在、萬福寺の山澤心堯住職が兼務しているが、岡山県指定文化財で、典型的な藤原時代末期の本尊・薬師如来座像が安置されており、岡山県における薬師信仰の一端を窺わせる。
 同寺は本尊の薬師如来からも分るように山号を瑠璃山と号し、備中国分寺の末寺であった。京都・醍醐寺を開いた真言宗小野流の始祖・理源大師聖宝(832〜909)が、諸国巡錫の際に開基。その後、荒廃したが、岡山県下の数多くの寺院を中興したことで知られる讃岐の密教僧・僧吽によって応永六年(1399)に中興された。
 しかし、再び荒廃し享保年間(1716〜36)、現在の総社市上林出身の増意和尚が再建を発願し、増意草世後は本性上人がその志を受け継ぎ成就させた。『都窪郡史』によると、「本堂梁行三間、桁行三間、庫裡は明治十八年大破取毀」とあり、寛永四年(1751)には、本堂・薬師如来の厨子を新調し、脇侍の日光・月光両菩薩を添えて安置している。
 ところで、薬師如来は、正しくは「薬師瑠璃光如来」。その功徳は瑠璃光に象徴され、衆生の病を癒し、寿命を延ばし、災厄を除き、衣食を満足させるという現世利益の信仰。日本では飛鳥時代に数多くの薬師像が像仏され、大衆の信仰を集めてきた。岡山県下でも十世紀の作といわれる邑久。余慶寺の本尊を筆頭にその作例は少なくない。明光寺の薬師如来もその一端を伝えるものである。
 昭和三十年に県の重文に指定された薬師如来坐像は、桧の寄木造りで漆箔像。像高44.5センチで、豊満な面相にやや長目の胴体といった感じ。豊かな頬、穏和な表情、流麗な衣の襞など、典型的な藤原期の彫刻とされている。また、脇侍の日光・月光両菩薩は江戸時代初期の造仏とされている。
 いずれにせよ、総社一帯に十二世紀後半に病苦を救済するという薬師信仰が伝わっていたことを彷彿させる。

年中行事

旧3月21日 大師講 旧7月21日 大師講

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より