真光山 願満寺(総社市南溝手184)

本尊 聖観世音菩薩

「氏寺」の形態を現代に残す、貴重な建造物

 いにしえの歴史と文化に彩られた町・総社市の寺院を巡ってみると、ある共通した一つのことに気づかされる。もちろん全寺院ではないが、いくつかの寺院の建物が民家の形をしていることである。いわゆる”氏寺”である。JR吉備線の服部駅近くの真光山願満寺もその一つで、豊かな吉備文化圏を支えた裕福な経済的基盤を窺わせる。
 市の名の総社とは、自国内の神社を巡拝する習慣の不便を省くために、平安時代末期に国司が国府近くに、それらの神を集めて祭祀したものである。備中総社宮は備中の三百二十四社を合祀したものである。その総社宮の北側を東西に走る国道180号線を東に行き、新町から北に入ると願満寺がる。
 同寺の開基は不詳であるが、『吉備郡誌』の「江戸時代の仏閣」の項目に名を連ねていることから、すでにこの時代には伽藍があったことが推測できる。しかし、その後の沿革は不明で、現在でも近くの観音寺の真鍋住職が兼務している状態である。トタンで葺いた一棟だけの建物がある。これが氏寺の形態の特徴で、これはこれで一つの総社の歴史と文化を伝えたものである。
 真鍋住職の説明によると、総社一帯の寺院は諸名家一族の冥福と現世の利益を祈願するために建立された、いわゆる「氏寺」である。これによって、同寺周辺に民家の形をした寺院が数多く残されていることが理解できる。
 当時は経済的に裕福だった諸家が建立したもので、現代的な家屋が並ぶ現在の総社市にあっては素朴に見えるが、総社の信仰史の一端を知る上で貴重な建造物といえよう。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より