備中国分寺(総社市上林1046)

 吉備路に備中国分寺がある。
 備中国分寺の創建については、正確なことはわかっていない。天平十三年(741)、聖武天皇の発カ願によって、鎮護国家を目的として全国に国分寺・国分尼寺が造営された。備中国分寺跡(国指定史跡)にあった旧国分寺は、南北朝期の福山合戦で兵火にかかり焼失した。そして、現在の寺は江戸時代蒔田氏が援助して、宝永七年(1710)僧増鉄が真言宗の惣持寺を移し日照山国分寺として再興したもの。
 天平のむかしの礎石は、南大門の礎石だけで以外のものは散逸して、伽藍配置さえわからない。五重塔(県指定重文)は県内唯一のもので、江戸末期の建立である。境内の他の建造物と地蔵菩薩立像も県指定である。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

山門 方丈 本堂
大師堂 鐘楼 五重塔