余慶寺(瀬戸内市邑久町北島1187)

山門

 県道岡山-牛窓線で吉井川を渡り、環境センターの前を抜け一キロあまり行くと、右手に三重塔が見えてくる。

 天台宗の上寺山余慶寺の歴史は古い。天平勝宝年中(749〜756)、報恩大師によって創建された備前四十八カ寺の一つで、武士の世になると、赤松氏・宇喜多氏・池田氏などの尊崇と保護を得て栄えた。
 境内はもごとな大伽藍が配置されている。ほぼ中央西側に本堂、北側に三重塔、薬師堂、南側に鐘楼、東手には塔頭の吉祥院、本乗院がある。なお、参道に恵亮院、定光院、園乗院の連なる白壁が左手にみえている。県内でも平安密教の一山一山寺多院制をよくの残しているところも珍しい。
 また、上寺山ろく一帯は児島高徳を旗頭とする南北朝動乱の南朝に味方した和田範長一族の居城があったところといわれ、その和田氏の菩提寺としても知られている。
 境内の薬師寺には、木造薬師如来坐像(国指定重文)や木造聖観音立像(国指定重文)が安置されている。前者は麗の大寺からあげられたものといわれ、藤原初期の県内屈指の優作であり、後者は藤原中期の作である。本堂(県指定重文)は室町時代の特徴をよく残し、須弥壇厨子(しゅみだんずし)もすばらしい。また、梵鐘(県指定重文)は元亀二年(1571)の秀作もある。
 すぐ隣りに、豊原北島神社がある。この宮には、源平の戦いのなかの藤戸合戦の立役者佐々木三郎盛綱奉納と伝えられる「集古十種」にも収載されている名品色々威甲冑(いろいろおどかしかっちゅう)(国指定重文)収載があり、南北朝時代の作と推定される。
 さらに、定光院には歓喜天が祀られ、性欲否定の仏教のなかで、性欲肯定の仏が祀られている特別な塔頭寺院である。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

鐘楼 本堂 大師堂
三重塔 恵亮院 本乗院
吉祥院 明王院 定光院