庄田山 朝日寺(瀬戸内市邑久町庄田1207)

本尊 薬師如来

縁起
 勅願により養老二年(718)中国の僧智蔵上人が開いた朝日寺は、当初本坊を大土井近くの伽比羅(かびら)に置き、七堂伽藍十三カ院を有した。孝謙天皇の代、報恩大師(八世紀の人)の定めた備前四十八ケ寺の中にもその名を留めている。
 栄枯盛衰は世のならいなるも衰微していた慶長年間(1596〜1614)備前を治めた小早川秀秋公により、庄田地内の大木おもって本堂、護摩堂、辻堂と龍王院、圓福院、圓蔵院、地蔵院、成就院、吉祥院、持明院の七ヶ院が建立された。
しかし徳川期に入り池田光政公治政の寛文六年(1666)廃寺の選にあったそれから約二十年後の元禄七年(1694)藩主池田綱政公により再建されたが龍王院一院のみとなった。江戸期、備前藩の加子浦として蔵米の輸送などを担当した尻海の廻船業者らの財力を背景として寺観を整え現在に至っている。


 本尊薬師如来は行基菩薩作と伝えられ秘佛であるが、霊験あらたかで檀信徒の尊崇を集めている。
 主な行事として、一月二十五日のお砂ふみ、大護摩供養、五月八日のあま茶、七月最終日曜日の読みあげ法要等がある。中でも「よみあげ」は投げ銭供養とも呼ばれ、近隣に見ない形をとり盛大である。

年中行事

一月二十五日 お砂ふみ
大護摩供養
五月八日 あま茶
七月最終日曜日 読みあげ法要