三部山 不動院 (浅口郡里庄町新庄3167)

本尊 不空羂索観世音菩薩

開基 元禄六年智算和尚

優美な建築の鐘楼堂

 JR山陽本線里庄駅から国道2号線を越え南へ700メートルほど歩くと、左手に〃里庄富士〃と呼ばれる竜王山のふもとの小高い丘陵に色鮮やかな緑青の屋根が見える。不動院の本堂である。
 不動院の本尊は衆生を羂索(漁猟用の網)で漏れなく済度するといわれている不空羂索観世音菩薩。身丈1.3メートルの木仏立像で三十三年毎に本尊開扉法要が厳修されている。
 他に、不動明王、毘沙門天、弘法大師などの諸尊が安置祭祀されている。
 開山の智算和尚は、不動院を開基する前には里庄町里見の霊山寺の住職を務めていた。寛文5年(1665)に備前藩主池田光政公が領内の寺院を調査して整理を行なった。この寺院整理で霊山寺が廃寺。智算和尚は、現在の不動院の境内地にあたるところに霊山寺の中堂があったのを幸いに移居し、元禄6年(1693)不動院を開基建立した。
 当時この地は新庄村といわれ、摂州麻田藩主青木氏の領内だったため池田藩の寺院整理(廃仏毀釈)から逃れることができた。智算和尚はその後、霊山寺を再建した後に、笠岡の地福寺に転住しそこで入寂したと伝えられている。
 開基以来二百数十年を経て、堂宇の腐朽が甚しくなり、第十六世智賢和尚が改築を発願。昭和八年四月には総欅入母屋造り銅板葺きニハ9平方メートルの本堂と庫裡が新築落成した・現在境内には、本堂、庫裡、客殿、瑜伽堂、鐘楼堂、山門の諸堂が甍を垂れ、その間を老松がめぐり閑静にして端正なたたずまいをみせている。
 境内の西側にある瑜伽大権現は、本尊を阿弥陀如来、薬師如来として文政七年(1824)児島郡瑜伽山蓮台寺より勧請。毎年陰暦六月二十三日を祭日としている。宵祭は地元に伝わる「大原踊り」なども行われ、群衆で賑わう。
 鐘楼堂は明治十五年に建てられ、二階建て構造の欅造り瓦葺きで、下り棟の四方先端に四天王像を配している。また、建物の腰から下は板張りの袴腰が付けられ、均整のよく取れた優美な建築である。なお、梵鐘は明治十五年に鋳造されたが今はなく、現在のものは、昭和三十九年に再鋳されたものである。境
 内の西南に高さは3メートルの陶製の五重塔が建っている。これは、明治四十四年「大原焼き」(里庄町大原)の名工・妹尾石平、俊男の作品。「大原焼き」は天正年間から製作が続けられてきた。その中で現存している代表的な名作として知られている。

年中行事

正月 修正会 2月 常楽会
3月 正御影供、彼岸会 4月  花まつり
6月 大師降誕会 7月 >瑜伽祭 
8月 孟蘭盆会    

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より