三部山 霊山寺 (浅口郡里庄町里見1736)

本尊 釈迦如来像

開基 平安時代初期弘法大師

中興 享保五年智算和尚

弘法大師作の本尊と十二天像版木  

 JR山陽本線里庄駅の北側にある里庄町役場と里庄中学校の間の道を、みかん畑をぬって北東に向かい約一キロほど登っていくと、弘法大師が創建したという三部山霊山寺に着く。標高八○メートルの霊山寺からは、素晴らしい里庄町の景観を見渡すことができる。
 霊山寺の開基は平安期初期から鎌倉時代にかけてと伝えられている。「浅口郡俚諺抄』によると弘安九年(1286)と記されている。また、棟札によると「弘法大師開基霊山寺」との記述が記されている。
 かつて、興隆期には大乗院、仏祖寺と呼ばれていたこともあり、霊山寺を本坊として、山内に南台坊、辻ノ坊、中ノ坊、東ノ坊、西ノ坊の六坊があった。江戸時代初期の寛文五年(1665)には、当時の岡山藩主池田光政によって行なわれた寺院整理で焼かれてしまったが、元禄六年(1693)に中ノ坊の住職だった智算住職が、南に約四アキロ離れた位置に本尊を移し、不動院を開基建立した。不動院のある場所は池田氏の領地でなく、摂州麻田藩主青木氏の領内だったため池田藩の寺院整理(廃仏毀釈)から逃れることができた。智算和尚はその後、霊山寺に戻り、享保五年(1720)に中興再建し、延享二年(1745)に笠岡の地福寺で没している。
 現在の霊山寺の建物は今から約百三十年前の文久年間に(1861−64)に義範第九世住職によって建てられたものである。
 本尊は釈迦如来像。乾漆座像で身丈七十五センチ。弘法大師の作と伝えられている。また、毘沙門天像も安置されている。  弘法大師は、布教のため諸国を巡歴している時、大原村の柏(かやん)堂(霊山寺の麓辺り)より、東北を眺めたところ草樹うっそうとして遥かに紫雲たなびき、秀一麗の気を感じ、そこにあった萩の大木で釈迦如来を彫ったと伝えられている。また、その時、余った木で作ったといわれる十二天像版木も同寺の寺宝として伝わっている。
 霊山寺という寺号は、天竺の霊鷲山からとられたといわれている。

年中行事

正月 元旦祈祷、初寅 2月 常楽会(4年に一度)
4月 花まつり 4月21日  山内四国霊場巡り
6月 四国霊場巡拝 8月 施餓鬼法会 
12月 守懸 春夏 彼岸会

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より