常慶寺(岡山市米倉89)

本尊 釈迦如来

縁起
釈迦如来を本尊とする臨済宗の寺で、米倉新田の開墾に密接な関係がある。当寺に宝暦五年に書いた詳しい縁起があり、これによると大阪方の落武者和気治左衛門が備中南部に百姓となって土着しており、その長子和気与左衛門が備前藩の許しを得て笹ヶ瀬川の下流を開墾し、寛永十四年(1637)に新田(面積三十町五反二八歩)が成就したので藩から米倉村と命名した。その節与左衛門が同家代々の念持仏春日作の千手観音を本尊として観音寺という一寺を建立、新田の祈願所托に自家の菩提所とした。観音寺は当寺美作の仏通寺を本寺に頼んでいたが他国に本寺があっては都合がわるいので、藍田和尚の代に仏通寺に断って、岡山の国清寺の末寺に入った。宝暦の縁起書の末段に、藍田和尚御代国清寺に本願寺上候右与左衛門法名常慶と申候故延宝六年常慶寺と改号仕候尤常慶明暦三年死去仕宝暦五年迄九拾九年に相成申候右之通国清寺之御住持伝外和尚致勧請開山仕候以上 これによって国清寺と本末関係を結んだ機会に、和気与左衛門の法名「常慶院心月永照居士」に因んで寺号を常慶寺と改めた次第がわかる。本尊に釈迦を祀ったのもこのときのようである。
 現在の本堂は明治十六年の再建で、三間五面(柱間)入母屋造本瓦葺の南面した構え、ほかに客殿、庫裡、山門などがある。なお同寺の境内に和気氏の墓所がある。
 和気氏は米倉村の開村当時から庄屋をつとめ後にはこの地方の大庄屋となった。常慶寺の北方二〇〇メートルばかりのところに大庄屋時代の住宅が残っている。