岩間山 最明寺 山本院(岡山市米田816)

本尊 阿弥陀如来

縁起
 本尊阿弥陀如来(伝行基作、高さ1.15メートルの坐像)を祀る真言宗の寺で岩間山最明寺山本院という。備前四十八カ寺の一つで、金山寺の寺領目録には岩間寺三拾石と記してある。境内七五七坪(約2.500メートル)、建物は本堂(宝暦十一年再建)、鐘楼(安永年中再建)、庫裡(文久二年再建)、客殿(慶応三年再建)、護摩堂(明治十一年建築)など。
 このうち本堂は桁行二十七尺一寸梁間三十四尺九寸入母屋造本瓦葺の建物、邑久郡宿毛の建てたという江戸中期の代表的な寺院建築の一つといってよい。又客殿は江戸末期のものではあるがその当時のすぐれた建築のひとつ。
この寺は最明寺入道時領に縁故がある旧跡と伝え、明治初年に作った縁起につぎのように記してある。
 『当山は天平勝宝年中報恩大師の創立にして国内四十八ヶ寺の一にあり岩間山千号寺と号す、建長年中鎌倉の副元帥平時頼公巡国の際堂塔坊宇大に修復を加えられし之に依て寺号を最明寺と改唱し之を中興となす、時に堂前の桜樹を愛視せらる浅黄桜と称す。降て宝暦年間領主池田継政公追想愛慕あり。
 文亀二年孟秋兵火の罹り堂宇残らず焼失す、之が為め旧記器物等多く焼失せり、文禄四年十二月豊臣秀吉公より吉富の内寺領三拾石寄付せらる、後没収の年月詳ならず、寛文五年七月池田光政公より当寺領として二石六斗寄付あり、是又明治六年に至り没収せらる。』
 岩間付近の地籍図を見ると寺跡と思われる小字名が多い、仙光寺、西仙光寺、富摩仙光寺、山法寺、東寺など現在最明寺山本院のある北条谷を取り巻いた地域はほとんど寺跡と考えられる地名ばかりだ、「千号寺」は見当らないが仙光寺と同じであろう。
 この寺の檀家も財田・古都・幡多・可知・富山・沖田の旧諸村にわたっており、その戸数もまた多い。