峰林山 妙応寺(岡山市富田町2丁目7-13)

本尊 一塔両尊(釈迦・多宝)

縁起
 本国寺派の日蓮宗の寺で、戦災前までは一塔両尊と四菩薩、四天王、三菩薩を本尊としたが、空襲のとき本堂および庫裡などを焼失、小林是泰住職が猛火の中から宗祖像と鬼子母神像を持ち出して避難し、戦後二十四年に庫裡を建て妙本寺から一塔両尊の譲与を受け遷座入仏したものである。
 この寺は応永年間に大光山本国寺建立院日伝の開基と伝えるが、戦国時代には廃寺同様となり近世に入ってもその「寺伝」に『第八世円乗院日数元禄二年寺門頽廃シタルヲ以テ改築ヲ計画シタルモ転住、第九世恵光院日高入テ代ルモ亦転住、第十四世華光院日正発奮新ニ本堂及ビ庫裡ヲ建テ宝永七年五月十三日入仏ヲ挙グ・・・』とあるように元禄二年から宝永七年までわずか二十年ばかりの間に六人もの住職がかわり、漸くにし伽藍を再興したという受難時代を経験した。
 しかも寛政二年(1790)二月二十四日大火で伽藍を全焼し、辛うじて三宝諸尊と伝教大師作と伝える鬼子母神像を避難させた。寛政九年九月に本堂その他の堂宇を再建、これが空襲前まであった同寺の建物で、一株の大銀杏が本堂脇にそびえていた。ついで昭和十二年に都市計画で寺地の北側が道路(番町・三門線)に繰入れられたため庫裡は位置を変え、大銀杏は道路の南側に突っ立って”化け銀杏”の異名をつけられた。
 戦後は先ず庫裡を再建して復帰し、やがて本堂が三十三年八月に竣功して翌年五月三日盛大な入仏式をあげた。再建した本堂は三間五面(四間半に四間)入母屋造本瓦葺のもので東面している。また焼け残った蕃神堂と山門は寛永九年再建の建物である。なお大銀杏は戦災に焼け、二十二年に枯死した。

年中行事

正月21日 初大師
正月28日 初不動
毎月21日 大師講

○勝英二郡交通死亡者供養    ○戦病死英霊供養

寺宝・文化財

弘法大師極彩色御座像 一体(100センチ)
聖観音立像 一体(70センチ)
浪切浮動尊木像 一体(70センチ)
毘沙門天王木像 一体(70センチ)