報身山 正覚寺(岡山市田町2丁目12-16)

本尊 阿弥陀如来

縁起

知恩院系の浄土宗の寺院で「創立年月不詳、初め中島町にあったが何時の頃にや今の処に移る。」と伝え、また天正十一年五月の草創ともいう。最初中島町にあったが、小早川秀秋の外濠工事にともない、郭外一連の寺町の中に加えられたものらしい。往時遊行上人が備前に来たときはこの寺を旅宿にあてたと云われる。元禄十年に伽藍を焼き、戦前にあった堂宇はそのときの再建にかかるもの、本堂・庫裡・観音堂・地蔵堂・不動堂・拏吉尼天堂・山門などがあり、明治四十二年六月に道路改修工事によって境内を狭くしたが、それでもなお岡山有数の寺院の風格を存していた。
昭和二十年六月の空襲にはこの付近の被害もっとも甚だしく、正覚寺もまた全焼した。
しkし二十年十二月に仮建築ながら庫裡を再興し、また同町内にあった浄土宗超勝寺を合併した。
超勝寺は寛永九年に正覚寺の末寺として創立したもので、本堂・庫裡・観音堂・地蔵堂などがあったが、こも寺も戦災で全焼、再起することができず正覚寺に合併した。