盛隆寺(岡山市妹尾1757)

山門

 盛隆寺は宇野線妹尾駅に近く、民家のひしめく町の中心部にある。俗に”大寺”と呼ばれ、かつて都窪郡内屈指の日蓮宗の大寺院である。妹尾地区は”妹尾千軒皆法華”といわれるように、日蓮宗の盛んなところであるが、この啓運山盛隆寺は境内3000余坪、そのなかに本堂・客殿・庫裡・鐘鐘・仁王門がそろっているうえ、智応院・浄園院・善立院・安祥院の四末寺塔頭がある。


 この寺は妹尾知行所戸川氏二代戸川達安(みちやす)の娘が、他家に嫁いで間もなく草世したので、達安の奥方は非常に悲しみ、一宇を建ててその霊を慰めようと悲願をたてた。たまた妹尾に真言宗の寺があったので、それを達安が信仰している日蓮宗に改宗させ、日蓮宗の僧日鳳を迎えて住職としたことにはじまる。
 この日鳳は、すでに達安に招かれて庭瀬(岡山市庭瀬)の不変院住職であったから、両山兼務ということになった。これ以後明治になるまで、この兼務はつづいた。日鳳は京都妙覚寺日典の高弟で、不受不施に属していた。この派が寛文五年(1665)禁止されると、平法華(身延山派)から妙覚寺に日乾が入山したので、信者らはおこって、この寺を本山(妙覚寺)から離脱して無本寺(本山を持たない寺)になった。

本堂

 本堂に「高祖大祖像」(日法の作)が安置されている。文永十一年(1274)日蓮が身延山に入る決意をしたとき、弟子日朗に一躰の尊像を与え、「この像を自分と思え」といった。のち”天文の法難”の前年、利海日相によって妹尾の百姓甚六の家に安置されたものをこの寺に奉拝した。また、この像は日蓮入滅のとき口を開いたというので、”読経の祖師”といわれ、像の背服に祖師の遺骨が納めてあるため”御真骨の祖師”ともいわれる。なお、同寺に庭瀬藩戸川家墓所がある。

                市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

鐘楼