了性山 中正院 (岡山市庭瀬614)

本尊 一塔両尊

 

縁起

本寺院は、寛永19年5月、僧侶中正院日学上人により創立せられた。最初、庭瀬町川入、現在、栄町に存し、徳川幕府中世藩主戸川肥後の守により、不変院塔頭に移転されたが、明治39年に至り、檀徒の努力により、現在地へ新築移転され今日に至る。
本寺院は、日蓮上人の教義をひろめ、儀式及び必要なる事業を行い、衆生を教化し、寂光上顕現の祈願達成をもって目的としている。維新前の火災で、古文書、過去帳等を焼失して現存せず、明治以後のみ現在残存している。わずかに、中正院は、日学上人直筆の曼陀羅一基、奉持せるのみである。旧吉備町付近に檀家200軒あり、中位の寺院である。