勅命山 日応寺(岡山市日応寺302)

山門

 勅命山日応寺は、報恩大師が養老二年(718)に創建したといわれている。寺内と付近には、他寺ではあまり見当らないような、”勅使堂”、”勅使道”とか、”王の御膳所(おうのごぜんしょ)”などの天皇と関係深い地名や旧跡が残っている。

山門より本堂

 これらの呼び名は、古代の聖武天皇、孝謙天皇、桓武天皇の三天皇の病気回復の祈願が、同寺で行われ、特に桓武天皇は勅使をつかわして仏恩に感謝されたことから、名付けられたもののようである。禅宗(臨済宗)開祖栄西禅師も、青年時代にこの寺で修業した古刹である。
 創建当寺は、三輪宗(奈良時代の仏派の一つ)で、貞観十八年(876)に天台宗にかわり、永禄二年(1559)、金川城主松田左近将監の狂信的威圧によって、日蓮宗に改宗させられ今日に至っている。備前の古寺の多くは、”いやいや法華”になったり、松田氏の威圧に屈しなかった寺は焼き払われた。
 日応寺には、毘沙門天立像、不動明王立像、梵鐘の県指定重要文化財がある。毘沙門天、不動明王ともに、高さ1.5メートルの寄木造りの大きなもので、行基の作とも伝えられているが、その作風が堅実なところから、鎌倉時代の作品と推測されている。梵鐘(市指定)は鎮守堂におかれているが、高さ91センチ、直径52センチ、周囲168センチの中型のもので、永和元年(1375)、長崎友行の銘が見える。
 なお、本堂は、江戸末期の建築であるが、かやぶきで正面を飾っている数かずの彫刻は、見る人を驚嘆させるに十分である。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

本堂 本堂 番人堂