清明山 鏡善寺(岡山市三手556)

本尊 毘沙門天

開基 天平勝宝年間報恩大志

中興 大永元年快重法印

報恩大師によって開基された吉備の古刹

 羽柴秀吉公の水攻めで有名な高松城を北に望む国道180号を西に進むと、足守川に架かる生石橋を渡る。その手前を南に入ったところに清明山鏡善寺がある。備前四十八ヵ寺をこんりゅうした報恩大師(?〜795)の開基で、吉備津の普賢院の末寺としての歴史を有し、今日にその法燈を継承している。
 報恩大師は奈良時代の僧で、備前国高津郡波河(現在の岡山市芳賀)の生まれ。十五歳で岡山市の日応寺に入り、三十歳で吉野山で延命、滅罪、除病の功徳を持つ千手観音の修法を修めた。天平勝宝四年(752)には孝謙天皇の病気加持祈祷を行ない、また、桓武天皇の病気をを観音呪によって平癒させたことから大師号を下賜された。
 岡山地方の活動は広範で備前、備中の古刹のほとんどの縁起に開基や中興として登場する。鏡善寺も同様に天平勝宝年間(749〜757)に開創されたと伝わっている。その後、『吉備郡誌』によると大永元年(1521)に快重法印によって再興され、中興となっている。
 本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられ、地元の篤い信仰を得ている。境内には本堂、客伝、庫裡が整然として並び、古刹の趣きを携えて甍を垂れている。ところが同寺は戦後無住状態となり、昭和二十七年から普賢院の住職が兼務。毎月三日には本尊供を行ない、旧正月の初寅縁日や夏の大祭を営み、地域の人々と共に法燈を継承している。

年中行事

2月 旧正月初寅大祭 7月3日 夏の大祭
その他毎月3日本尊供  

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より