大乗山 妙林寺(岡山市三門東町7-1)

本尊 宝塔題目釈迦多宝文殊普賢不動愛染、四天王

縁起

 誕生寺派の日蓮宗の寺で、三、五六七坪(約11、771平方メートル)を占める広い寺地に多くの塔塔が並んでいる。本尊として宝塔題目釈迦多宝文殊普賢不動愛染および四天王をまつる。寺伝に、池田光政国替の時鳥取より僧日意を伴い、寛永九年(1632)山崎町に寺院を創立せしめた。その後貞享三年二月現在の地に移したもので、移転の事情は同寺宛のつぎの文書により知ることができる。

 備前岡山山崎町日蓮宗証文之不受不施大乗山妙林寺境内狭小面檀越之用事難調に付寺地之義数年被願候依之町中之寺と申其上溝筋為通路今般被召上替地於御野郡伊福村寺屋敷三増倍七百八十三坪拝領被付者也且又檀方数多有之寺内墓所就為不足面所望被申故所之庄屋百姓え相対年貢地買添被造立梵字宇也拠旧今准御城下之寺院為後証如件
  貞享三年寅霜月十三日   能勢勝右衛門(書判)
     大乗院妙林寺

 右文書の能勢勝右衛門は寺社奉行、また文中に「日蓮宗証文之不受不施」とあるのは、寛文六年の不受不施派禁制に際し、受不施に転ずる旨の証文を公儀に差出した寺の意に解せられる。
現在の建物は、本堂・祖師堂・五番堂・庫裡・客殿・鐘楼・仁王門・総門などで、本堂は元文元年(1736)に建てたもの、五間五面(柱間)入母屋造本瓦葺の宏荘な建物で東面している。なお境内には戦後佐藤輝夫の寄進した鉄筋コンクリート造りの納骨堂と巨大な日蓮聖人の立像があり、日蓮像は彫塑家宮本隆が製作したもので、納骨堂の上に立った説法像である。

 旧塔頭四院  授法院・延寿院・観明院・清凉院

妙林寺には東からの参堂を挟んで、南に二院、北に二院の塔頭寺院が相対している。
南側のが延寿院と清凉院、北側のが授法院と観明院、何れも日蓮宗で今はそれぞれ独立した寺院になっている。岡山市の大きな寺には、それぞれ寺中に子院をもち、中には十院以上を数える寺もあったが、江戸中末期から次第に衰退、明治に入って本寺の庇護を受け難くなり、廃寺となるか他に転出するものが続出した。しかし妙林寺東参道の四院はそれぞれ相当数の檀家をもっていたので、原状そのままに今も存続し、塔頭寺院の好例ともなっている。

観明院 授法院