安住院(岡山市国富3丁目1-29)

 「瓶井(みかい)の赤門」(県指定重文)とよばれる安住院仁王門から禅光寺安住院境内に入る。
 この寺は天平勝宝年間(749〜756)、名僧報恩大師によって創建されたと伝えられる。当院の本尊は木造千手観音で、現在は真言宗に属する。
 もと寺中は、禅光寺の本坊安住院を中心として、堯王院・蓮華院・理證院・法明院・閑安院・歓喜院・万徳院・伝経院・金蔵院・明寿院・中蔵院・普門院などの多くの塔頭(たっちゅう)があって、瓶井の谷は僧坊で埋まり、近郷に数多くの末寺をもち、この地方における真言宗の中心的勢力として栄えた。しかし、江戸末期、寺はしだいに衰微し、塔頭の諸院は廃寺となり、本坊の安住院と中蔵院・普門院だけとなり、さらに中蔵院も名称だけ残し、堂宇は姿を消した。

 安住院の建造物は、本堂・鐘楼・仁王門・多宝塔・薬師堂・大日堂・牛王所堂ならびに庫裡(くり)客殿などが建ち並んでいる。そのなかで、仁王門は康正二年(1456)の建立で、木割りの太さ、虹梁(こうりょう)や木鼻(きばな)の形式・軸部の朱塗りなどから、室町後期の特色をよくあらわしている。なお県内最古の楼門である。
 本堂(市指定重文)は、江戸初頭、岡山藩主小早川秀秋が再建したもので、桃山時代の建築様式をよく残している。多宝塔(県指定重文)は元禄年間(1688〜1703)岡山藩主池田綱政が後園(後楽園)の遠景として建立に着手し、次の藩主池田継政のときに完成した。県内第二の規模として知られている。
 なお、同寺には、藤原時代中期の木造毘沙門天立像(市指定重文)が安置されている。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

山門
本堂
薬師堂 大師堂       本堂入り口門