金林山 神宮寺 多聞院(岡山市小山602)

本尊 毘沙門天

開山 法印典海大和尚

備中路における毘沙門天信仰を現代に残す

 羽柴秀吉公の水攻めで有名な高松城を北に望む国道180号を西に進むと、足守川に架かる生石橋を渡る。その手前を北に入ったところに金林山神宮寺多聞院がある。現在同院に伽藍は石塔婆と管理棟を残すのみだが、法燈を消してはいけないと、寶泉寺(倉敷市矢部131)の藤井秀範住職によって護持されている。
 同院の開山は歴代住職の位牌からすると、「法印典海大和尚」となっている。しかし、時代は不明でその後十代の住職が同院の法燈を受け継いでいる。一代の住職が平均三十年間務めたとしても三百年余りの寺暦を有していたことが推測される。また、境内跡地には石仏も点在し、地元の篤い信仰の足跡を偲ばせてくれる。
 本尊は毘沙門天。別名を多聞天と称することから、同院の「多聞」が納得できる。毘沙門天は持国天、増長天、広目天と並び四天王の一人。七福神の中では”財宝の神”として、古来より信仰を集めている。
 仏教の守護神とされる毘沙門天の発祥は遠くインドまで遡るが、日本に伝来すると、御所を守る神として京の真北にある鞍馬寺に祀られるようになったという。
 また、武将の神として知られ、足利尊氏や上杉謙信が守り本尊としたことで有名である。左手に宝塔、右手に鉾を持ち、忿怒の相で邪気を踏みつける姿は、武勇の神のイメージが強い。
 備中路には国重文の毘沙門天も残されており、同院の本尊も備中路の毘沙門天信仰の歴史を物語っており、現代に寺号が残されている意義は大きい。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より