円城山 西高寺 高明院 (岡山市小串2360)

本尊 阿弥陀如来

縁起 高野山真言宗の寺院で、寺伝に「永久三年(1115)舜永が開基し、寛文二年(1662)清舜再建す、当寺はもと安芸国にありしが、竹原弾正というものが天正の頃浪人となり、独建の檀那寺たる当寺をこの地に移したるものにして、同寺に三十三体の観音像を寄進し、其子一楽なるもの剃髪して寺に住す」とある。
創建年代については研究の余地をのこしているが、宇喜多氏と毛利氏が抗争を続けていた天正年間に、安芸国の名ある武士が浪人して、宇喜多氏の領内の小串港に来り、独建の寺までこの地に移したというのは興味あるできごとである。むろん堂宇はそのままにして本尊と寺の名跡だけを移したのであろう。
阿津の宝積院の背後にある広幡八幡宮の社地に近い丘上に、文明十三年五月十八日の刻銘のある不動明王の石仏をまつる堂がある。この地が高明院の跡と伝えられるので、この寺が小串の城山に移ったのは近世になってからかもい知れない。
現在の建物は、本堂・庫裡・客殿・鐘楼・鎮守堂・山門などで、いずれも寛文の再興以後の建築、このうち本堂は三間に三間(柱間)、一重、宝形造本瓦葺の建物で東面している。

寺宝・文化財

両界曼陀羅 画面の大きさ幅1.23メートル、長さ1.42メートル、正徳四年四月に表装を修復しており、このときの施主竹原伝左衛門は竹原弾正の子孫の者と伝えられる。