今谷山 長楽寺(岡山市今谷874)

本尊 阿弥陀如来

縁起
 今谷山長泉寺といい。阿弥陀如来を本尊に祀る真言宗の寺である。寺伝に「天平勝宝二年の創立にして、中古より光明院・成就院・延命院・南光院の五カ寺を存す。維新の際王蔵院を廃す、明治五年十一月成就院を光明院へ合併す。同六年十一月同院焼失し延明院南光院の二ヶ寺を存す、此時寺檀協議して一山合併長楽寺の総名を用ふる事を謀り、同八年二月其筋の許可を得たり。同十一月七月再び火災に罹り住坊悉く焼失、同十三年一月地位を堂宇の傍に移し小坊新築す。」とあって、明治維新の苦境を切りぬけたのちも度重なる火災に遭い今行ってみても長楽寺の付近には火難に漬えた僧坊の跡が歴々と残っている。

 この寺は備前四十八カ寺の一つで、金山寺の四十八カ寺領目録には、今谷山三十石と出ている。また吉備温古秘録の上道郡今谷村の条には真言宗今谷山長楽寺光明院と見え、光明院が本坊であったようだ。
 現在の建物は本堂、庫裡、客殿、仁王門、茶室などで、仁王門だけは江戸中期の建物で、これは焼け残ったもの。
 本堂は三間四面(柱間)、入母屋造本瓦葺のしっかりした建物で、前一問通を吹放の外陣にした東面の堂である。
 寺は操山の北面によった山上にあるが、檀家は幡多・財田・富山・可知・操陽・三幡・沖田・津田の旧諸村に分布し、六百戸以上を数える。数度の火難を克服して寺運を再興した経済的根拠も広い範囲に檀かを持っていて、操山の北では清水・新屋敷・原尾島・関、また操山を南に越えると江戸中期に干拓した三幡・四幡の地区にまで分布している。
 この寺に竜灯の松と名づけた老松があったが近年枯死してしまった。