法界院(岡山市法界院6-1)

山門

 法界院は三野公園と半田山植物園に囲まれたところにある。正式の寺名は、真言宗仁和寺派に属する金剛山遍照寺法界院という。
 この寺は、天平勝宝年中(749〜56)に報恩大師が建立したといわれる。しかし、確かな記録では、天正九年(1581)三月の創建とされているが、詳細な縁起はわからない。付近に数カ寺の末寺をもっている。本尊は、木造聖観音立像(国指定重文)で藤原時代の一木造りで、秘仏(三十三年目の開扉)となっていて、拝見することはできない。現在は本堂前庭に美しい保存庫ができ、そのなかに安置されている。

山門より本堂への階段

 同寺は、百年目ごとに火事が年忌をとうといわれたほど度々火災にかかっている。近くは文久年間(1861〜62)にも火災にかかって本堂などを焼失した。しかし、その火災ごとに本尊だけは運びだして今日に伝えたもので、両脇侍の不動明王と毘沙門天も、本尊と同じ藤原期の秀作である。この脇侍は近年まで中門の両側に安置されていたため、中門とともに火難をまぬがれたようである。
 現在の建物は、本堂・客殿・庫裡・鐘楼・中門・仁王門・護摩堂・地蔵堂・観音堂(二棟)釈迦堂・弁天堂・鎮守堂・茶堂などで、この多くの建物がうまく配置されている。本堂は文久の火災後の再建で、仁王門はそれより古く、この種の楼門では県内屈指の大建築である。本堂の天井画は生阪藩士松田翠涯手になるもの。
 本堂前に二つの古めかしい燈籠がある。向かって左手のものは、道讃禅定門石燈籠(市指定重文)で、石燈籠としては慶長三年(1598)の銘があり桃山時代の特徴をよく表している。なお、同寺の先住松阪旭信(号帰庵)は能筆家として知られ、境内に筆塚が見られる。帰庵の書も同寺では多く見ることができる。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

本堂 鐘楼 梵鐘