安養寺(岡山市日近2061)

山門

 この寺は、臨済宗建仁寺派に属する求世山安養寺である。
 岡山市足守の近川に沿ってしばらく登ると、右手の山の中腹に小さな門が見えてくる。ここが安養寺である。
 開基は天台宗智證大師と伝えられ、本尊は千手世観音菩薩であり、日本における禅宗を開いただけでなく、中国から茶を伝えた栄西禅師が得度した霊場といわれる。

本堂

 栄西は、法然と並び岡山県が生んだ大宗教家で、保延七年(1141)備中国の吉備津宮大祝家の賀陽氏の出身といわれる。八歳のとき、父に従って仏教入門書「倶舎頌」を読んで感じるところがあり、十一歳のときこの寺の住職靜心に師事し、仁平三年(1153)叡山に入り、翌年十四歳で剃髪して具足戒を受けた。いまでも境内には栄西手植えというイチョウの大木があり、菩提樹の古木が残っている。また、栄西が水面に自分の姿を写しながら、木像を刻んだという「姿見の井戸」も境内奥に残っている。
 保元二年(1157)当寺住職靜心が死に、遺言によって安養寺後住千命について密教を修めることになった。平治元年(1159)十九歳のとき京に上って叡山に入り、有弁ついて天台教学を学んだ。仁安三年(1168)二十八際のとき両備地方で修業していた栄西は、入宋し天台山万福寺に入った。わずか六ヶ月の遊学であったが、大陸の新しい仏教の息吹きに接し帰国した。
 帰国後叡山に登り、栄西は故郷に帰った。備前・備中を巡錫して修行を重ね、伝法を行なうためであった。金山寺、日応寺に入った。当時栄西は台密の方で活躍した部分が多かった。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

鐘楼 栄西供養塔 大イチョウ