西谷山 法万寺(岡山市原975)

本尊 聖観音

縁起

真言宗の寺院、中世荒廃した時代があって縁起書その他の古文書が失われているが、金山寺などと同じ時代の天平勝宝年間の創立と伝え、金山寺文書中に、「四十八箇寺外御寄附寺領之事」として八塔寺ほか都合十一カ寺を記し、その中に法万寺拾石とみえるのがこの寺である。以前は天台宗に属していたのか、吉備温故秘録の御野郡原村のところに「天台宗西谷山法満寺」と載せてある。現在の建物は本堂・客殿・庫裡・鐘楼・山門などで、本堂は東面した入母屋造本瓦葺とした江戸中期の建物であるが柱礎の中に、平安時代のものらしい造出しのある古い礎石が三個交っている、石質は花崗岩で円形造出しの部分の径一尺七寸、高さ一寸三分ばかり、記録も伝承もないのは惜しいが、法万寺がもし笠井山中腹にある堂屋敷きから移転した寺とすれば、ともに移して来た礎石かもわからない。

寺宝・文化財

・地図
 古色蒼然たる一幅の地図で、画面が横1.30メートル、縦0.90メートル、紙本で破損甚だしく、画面も既に詳細わかちがたいまでに古びているが、これの模写の画幅があり、また、また上道郡誌にも色刷りでその画面が載せてある。それによると法万寺を右手前に置き、その稍上方に舟山城があり、背後に高く笠井山がそびえ、その南面の麓にあたる左手前の画面には七堂伽藍をそろえた大寺院を画いてあるが、これが現在の法界院ともも見えるし、また堂屋敷にあった大伽藍とも考えられる夢の大寺である。そして法万寺や舟山城の前方は満々たる海で、舟山城の対岸はるかなるところに竜口山城があり、遠景に金山と金山寺を置いた放胆きまわる仮面構成である。