管能寺(岡山市旭本町4-20)

本尊 

宝塔題目釈迦多宝仏、四菩薩、不動、愛染、四天王をまつる日蓮宗の寺で、康松山管能寺と称し、終戦後まで新道にあった。寺伝に、慶長年間の創立で開基は小早川秀秋である。若狭は小早川家断絶ののち、池田家に仕え禄三千石を食む、寺城はその下屋敷の跡と伝えられる。新道にあったときの寺城四七四坪余は管若狭の下屋敷であったものを、そのまま寺城として一寺を建立したものであろう。新道時代の寺の門内には一株の老松があり、管能寺の偃松とよばれていた。若狭が播州曾根の天神社の境内から実生の松を持ち帰ったものと伝えられ、寺の記念樹になっていた。建物には本堂・客殿・庫裡・書院・三光堂・鎮守堂・山門があり、このうち三光堂と鎮守堂は慶長の創立当時の建築であった。
この寺も岡山市が空襲を受けたとき山門だけのこして全焼、本尊は辛うじて戦災をまぬがれた。戦後焼跡に仮堂を建てて法灯を続けたが、都市計画のため寺地をもとめ、五間六面入母屋造瓦葺の本堂(東面)を建築して、昭和三十四年四月一日新道から引き移った。同年庫裡を新築し、また旧地にあった仮本堂を移して客殿とし、山門は旧のものを移転、伽藍の整備をしたが、戦災寺院中整然たる再興ぶりを示した寺院といえよう。