富海山 東山寺 松寿院 (岡山市浅越699)

本尊 十一面観世音

縁起

 平安朝の延暦十年(791)報恩大師の創立にかかるという。
 客殿の二階に

貫名海屋が書いた「海山雄観閣」という扁額がかかっている。海屋が浅越の大黒屋という呉服屋の招待で来た時、この寺に登り、南方の瀬戸内海をのぞむ風光を賞でて、揮毫したものである。貫名苞の落款があり。君茂の印を用い、関防に源静堂とある。
 海屋は安永七年阿波の小松島に生まれ、文久三年五月八十六才で京都で歿した。この寺へ来たのは五十才台らしい。大黒屋では江戸末期には仲々盛んな呉服の商ないをしていた。毎年仕入れのために上方へ出掛け、淀川を三十石船でのぼって京都へ行った。或年京都に滞在中の海屋に、一度備前へ来るよう、すすめたが、ウンと言わない。三年がかりでやっと承諾さした。彼は一たん阿波へ帰り、それから来遊し、大黒屋を訪問したのが最初で、この時書いてもらった。当時の彼の服装は全く質素であった。(昭和四十五年六月五日落雷により庫裡と共に焼失した。)
 東隣に加納院があるが、現在は無住で松寿院が管理している。

松寿院 東山寺 加納院