妙見山 常福寺(岡山市葵町4-5)

本尊 大日如来

縁起

大日如来を本尊とする真言宗の寺である。旧版市史には「始めは長福寺と称せしが、正徳六年六月現寺号に改む、けだしこの歳徳川家重征夷大将軍に任ぜられ、その幼名長福君なるを以って之を憚りたるものならん。」とのせてある。寺記によると、養老二年(718)三月熊野正隆の草創にかかり大覚院と称した。正隆は紀州熊野権現を児島の林(現倉敷市林)に遷したときの隋行者熊野正則の弟で、その子孫が代々この寺の住職をつとめていたが、永禄年間に浦上宗景が富山城を攻めたとき兵火に罹って焼失した。ついで宇喜多氏岡山城主のとき保護を受け、豊臣秀吉の庶子長福丸が伊福の地で呑死したときその追福祈願所になって長福寺と改めた。小早川秀秋の代になって寺領を没収せられ、その後寺運は傾いた、寺号を常福寺に改めたのは元禄以後である、とみえる。
この寺は大正末年まで荒廃を重ねていたが、その後漸次改修を加え、太平洋戦争が終って間もない昭和二十四年には邑久郡牛窓町鹿忍の古刹宝光寺の本堂を譲り受けて移築し、客殿、庫裡などを再建し、面目を一新した。
本堂は総ケヤキ材を用いた入母屋造本瓦葺の大建築で亀腹の上に南面している。宝永年間の建築であるが、内陣の厨子や須弥壇は桃山時代に入れてよい古さをもっている。