無量山 蓮台寺(新見市土橋1532)

本尊 無量寿如来

開基 大同二年弘法大師

カストロ台地に広がる自然環境豊かな古刹

 国道180号線を高梁市から新見市に向かって走り、井倉洞を過ぎ、長屋という地から北東の方角へ入り、満奇洞へ向かうと、山を登りきったところに台地が広がり、整備が行き届いた寺領に無量山蓮台寺がある。この辺り一帯は俗に言うカルスト台地で、純然たる農村地帯。タバコや野菜、果物などの栽培がさかんで、豊かな自然の中で育まれた進行を継承している。
 大同二年(807)、弘法大師は新見市豊永の同宗三尾寺を開基するが、同時に蓮台寺も開基。「法寿院」と号し三尾寺の末寺とした。その後天分十一年(1542)には、時の住職・宥算法印が堂宇を再建。さらに寛文八年(1668)には宥金法印が壇信徒の協力を得て、伽藍を建立し、「法寿院」を廃して現在の寺号に改めた。
 しかし、時代の変遷と共に法統も乱れ、永住して再興に燃える住職も少なく、戦後の農地解放などにより寺院維持も困難となった。こうした中で昭和二十八年、三尾寺の先代・滑離端宝住職が兼務。本堂、庫裡など屋根修復と葺き替え、土蔵、納屋の屋根を吹き替え、水道設置、参道整備、金比羅宮屋根吹き替え、熊野権現社殿改築など、次々と伽藍整備を行い、平成三年八十五歳で逝去した。昭和二十八年から世後の混乱期の中で、ひたすら地域の人々のために仏祖に仕えた瑞宝住職の徳が偲ばれると共に、同寺にとっては中興的存在である。
 この後を受け継いだ現在の滑住職は昭和五十九年の弘法大師御入定千百五十年御遠忌記念として本堂(105平方メートル)、客殿・庫裡(190平方メートル)をはじめ、同寺の全ての堂塔を改築し現在に至っている。また、滑住職は伽藍復興だけでなく、年四回寺報「蓮台寺だより」を発行するなど、壇信徒化に尽力している。

年中行事

正月 修正会
四月 大師講
八月 お盆お寺参り

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より