如意山 三尾寺(新見市豊永赤馬4676)

本尊 十一面千手観音

開基 神亀四年行基菩薩

開山 大同二年弘法大師

国重文の三体の鎌倉仏は県下の代表作

 中国自動車道の北房インターから国道313号線を西に進み、北房町の呰部から標高五〇〇メートルの如意山を目指す。カシやナラの木などが繁る雑木林を抜け、五百年から六百年の杉が林立する頂上付近の浄域に如意山蓮淨院三尾寺がある。かつては、山上一帯に十二坊を数えた古刹で、現在も地名を残しており、往時を彷彿させる。
 同寺は、仁亀四年(727)6月十八日、諸国を巡っていた行基菩薩が、この霊峰に巡錫基し草庵を建立したのが始まり。霊夢に感じ、自ら本尊・十一面千手観音を彫刻し安置した。大同二年(807)には弘法大師が巡錫。地形の優れた霊峰に喜び錫杖をとどめて不動明王と毘沙門天の二体を刻み脇侍として安置した。この三体はいずれも桧の寄木造りで極めて保存がよく、国指定重要文化財。県下にある鎌倉仏の中では数えられている。また、この三対を安置する本堂も県指定の重文で、茅葺きで室町時代後期の寺院建築を残している。さらに、同寺には重要な絵画、彫刻など数多く残されており、昭和四十三年境内に収蔵庫を建立し、文化財を収納している。
 弘法大師の中興によって寺運は隆盛し、本坊・浄蓮院(現在の三尾寺)のほかに山内に十二坊を数え、真言密教の道場として栄えた。しかし、応仁の乱では伽藍に放火され消失。ところが、本尊と脇侍の三尊仏は難を免れたという伝説が残っており”飛行観音”といわれている。
 その後、天文四年(1535)に客殿を建立。永禄二年(1559)には英賀郡呰部庄(現上房郡北房町)丸山城主庄兵部大輔勝資が本堂を再建。天正六年(1578)に庫裡を建立し、慶長九年(1604)には松山城番小堀作介(政一)から寺領十石の貴信を受けている。
 ところで、同寺には宝物を持ち去ろうとした賊がすべり転んだという「呼坂と辷石」の伝説が残っている。この伝説から同寺がいかに重要な宝物を保蔵していたかを窺うことができる。
 また、かつて旧正月十八日の初観音には正、副二本の宝木を奪い合う「裸祭り(会陽)」が行われていた。現在は「福引き会陽」としてその伝統を継承している。

正月 修正会(3日まで)
旧三月二十一日 正御影供
旧四月八日 花まつり
六月十八日 観音夏まつり
八月 盂蘭盆
十二月三十一日 除夜の鐘

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より