瑞圓山 恵重寺(新見市正田847)

本尊 大日如来

開基 昭和二十八年平川恵照

南北朝の地蔵信仰を携え、新たな信仰を育む

 新見市から国道180号を総社方面へ向かって走ると、伯備線と交差する高架に差しかかる。その左手に高さ四メートル前後の五重塔が目に入る。ここが瑞圓山恵重寺である。お寺の建立は比較的新しいが、この地には、”腰折地蔵”と呼ばれる県重要文指定の延命地蔵尊があり、信仰的に深い由緒を秘めた地に新たな信仰心を育んでいる。
 同寺の開基である平川恵照住職は明治二十三年に井原市に誕生した。その後、四国愛媛県の香園寺の三密学園で学び、子安遍照会の”聖”として備中、備後、美作地方で精力的に布教に従事。昭和二十八年、布教の道場として、現在地に伽藍を建立した。
 この地はかつて女性では初代の厚生大臣である近藤鶴代さんが誕生した地域でもあるが、何よりも特筆されるのは南北朝時代の地蔵尊が残されているという土徳の地である。「昼間地蔵」とも「腰折地蔵」とも呼ばれる石造延命地蔵尊は高さ1.5メートル、和泉砂岩で「招聘十二年(1357)丁酉三月三日 光阿弥」の銘が入っており、約六百三十年余りに亘って信仰されていたことになる。
 また、この地蔵尊と同型の三体があり、中でもこの地蔵尊は顔が豊頬をたたえ、腰の部分が切断されていることから「腰折地蔵」と呼ばれ、腰に痛みを覚えると、ここに来て地蔵尊の折れたところをさすり、自分の腰を撫でると治癒するといわれ、今でも参拝者が絶えないという。
 こうした由緒ある地に建立された恵重寺は、昭和二十九年に近隣の戦災病死者の芳名簿と写経を納めた五重塔を建立し慰霊と供養を行った。そして、ここを本拠として、美作、備後地方へ布教され、徐々にその構えを整えていった。昭和三十四年に七十歳で逝去した初代の後を受け継ぎ、第二代の平川了円住職へと法燈を継承し、現在に至っている。

年中行事

1月15日 初縁日
4月第1日曜日 四国霊場お砂踏み法要
7月土用丑 きゅうり封じ
8月16日 戦災病死者供養
毎月15日 縁日

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より