長福寺(美作市真神414)

 英田町の国道374号の福本信号を東に山あいを二キロ。自然景観ののなかに、突然目のさめるような丹塗(にぬり)の三重塔が見えてくる。

山門

 この長福寺はもと真木山頂にあった真言宗の名刹で、寺伝によると、天平宝字元年(757)渡来僧鑑真が開基し、弘安八年(1285)比叡山の学僧日源が入山して再興したとある。そのころから山上に六十余坊がたち並び、天台、真言の二宗に分かれていたが、室町時代初期に真言宗に統一され、慶長年間(1596〜1614)までは、なお四十坊あった、山上は門前町が繁盛をきわめたので、いまも多くの僧坊の跡や門前町の跡が残っている。江戸時代に入り、当寺もしだいに衰微して明治維新を迎えたときは、わずか四坊となった。その後たびたび火災にかかったため、昭和三年、ふもとの現在地に迦藍を造り山をくだった。

 当寺は長い歴史をもつ古寺だけに優れた文化財が多い。まず、長福寺といえばすぐ三重塔(国指定)が思い浮ぶ。弘安八年(1285)住職日源の代に、領主江見左馬頭が大地主となり、大工棟梁邑久郡下阿知村国右衛門が建てたもの。その棟札が保存されている。鎌倉時代の塔建築で、県内に現存する木造建築中最古のものであり、全国的にすぐれた三重塔である。

三重塔

 そのほか、本尊木造十一面観音立像(国指定)は半丈大、桧の寄木造り。鎌倉時代のものである。さらに絹本着色十二天像(国指定)は室町時代初期のもので、伝増吽筆といわれる。絹本着色不動明王像(国指定)は鎌倉時代末期の作で写実的描写力に富む優品である。
 また、両界曼荼羅(まんだら)(国指定)は室町時代のもので、絵師梅岡備後守。当時の仏画は、県内寺社中でも出色のものが多い。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より