鳥坂山 妙徳寺(美作市上山2355)

本尊 如意輪観音

縁起

 旧英田町の南端、大芦高原に隣接する備前ゴルフクラブの駐車場の前を過ぎると左手奥に、境内に東美作路銘木百選に選ばれた「つばき」の大木の有る、上山の鳥坂山が在る。宗旨は真言宗古義、本山は御室仁和寺、本尊は行基作と伝える如意輪観音である。寺の境内は八町四方といわれるが、寺地は二十七間に十二間で三二四坪、本堂は四間四面、庫裡は四間に十一間、長屋二か所、表門、脇小門を備えていた。
 そのほか、寺地に四尺四方の山王権現、荒神社・天神社、池の中に弁財天を祭る社があり、鐘楼が立っている。鐘楼には「明暦二丙申天初夏吉辰」の銘のある梵鐘が釣るされていたが太平洋戦争のとき応召していまはない。本堂は大正八年三月四日再建が決まり、九月三日普請に着手、翌年二月二日棟上式を挙行、参拝する者数百人、餅米三俵をついて餅投げを行い、同年四月二十三日入仏式が行なわれた。このときは二夜にわたり余興の芝居でにぎわったという。
 この寺は鎌倉初期、源頼朝の命令で梶原景時が奉公となって再建したという。所伝によると、源義経が
平氏と戦っていたとき、はるか北方の山の灯火を見た。それをただすと和気郡八塔寺の観音の灯火という。義経は八塔寺に心から戦勝を祈願した。平氏を討ち滅ぼし、御礼に八塔寺の再建に着手したが、八塔寺は深い山の谷間にあって、四国からその灯火が望めるはずはない。それは上山の妙徳寺の灯火であろうということになり、八塔寺と同時に再建したという(『東作誌』)。妙徳寺の灯火であっても四国屋島からそれが望見できるはずはない。いずれにせよ源氏の被護で再建した寺であったのであろう。

寺宝

・如意輪観音坐像