神命山 願光寺(美作市上山坊)

本尊 

縁起

 真言宗神命山願光寺持生院は上山の坊(藤原幹夫宅隣)にある 通称西寺という。
 明治十九年、住職真慶が書写した「藤原氏累世記」によると、文政六年三月二十一日四ツ半ごろ下新宅から出火し加納屋諸道具残らず焼失し、その折慶祐が世々事積を細く書きつづった書物があったが傷み甚だしく焼け残った部分から一冊を得て後世に伝える真慶七十四歳のときに記している。それによると、応永五年(1398・室町初期)寿長上人の開基によるもので高野山義教法師の縁で長厳師が再興している。長厳師は天正八年(1580)に和泉国大鳥庄に生まれ文禄三年(1594)に来山し慶長元年(1596)七十歳にして権大僧都法印に任ぜられ慶祐と号した。寺内に行者堂と籠堂があり行者堂は嘉永四年(1851)に八幡宮(上山神社)の拝殿を移したもので仏像三体(修験者像・観音像・如来像)、神像一体が安置され、神像は明治初年の神仏分離の際に八幡宮から移されたものである。 

 明治六年の願光寺什物帳をみると
  一本尊 地蔵        一体
  一行者            一体
  一五大力明王        一幅
  一法螺            一具
  一錫杖            一本
  一本堂            四坪
  一庫裡            二十四坪