守宗山 善住寺(真庭市樫東1362)

本尊 十一面観音

縁起
 当寺は樫東にあり、十一面観音を本尊として守宗山善住寺と号し、真 『作陽誌』には、当寺ははじめ東谷川東にあって、近ごろ(元禄に近く)現在地に移ったと記しているから、寺の略縁起に伝える弘仁11年(820)塩滝付近に善住寺付近に善住寺創建とあるは現在地ではなく、現在地に寺があったとすれば、付近に山王祠跡があり、その下を山王淵といい、寺僧の墓碑銘も天台の法諱があるところからすれば天台宗の寺があて、その衰微荒廃した地へ、寺伝にいう宥海阿闍梨の天文年間の再興で移ったのではなかろうか。古記録が焼失して詳らかにしがたいが一考を要する。
 現在の建物は、山門が三十一世恵快上人の安永四年(1775)建立、本堂客殿庫裏は去る四十八年とりこわして鉄筋コンクリートに改築したが、これは宝永五年(1708)二十四世快賢上人建立、元文三年二十五世源応上人修覆の本堂と、明治十五年三十六世大州上人再興の客殿庫裏とを改築したものである。
 本堂十一面観音立像は首部に本尊阿弥陀仏を納め、腕・脚・衣からすれば室町作でであるが、本体は後の作か、または損傷して表面を削るなどしたものと考えられる。光背・蓮台は近世中期の後補、脇侍の不動明王と昆沙門天の両立像はともに近世中期の元禄期作である。