岡松山 薬王寺(真庭市大金屋193)

本尊 薬師如来 

縁起

 当寺は台金屋にあって、岡松山薬王寺と号し、薬師如来を本尊とする真言宗御室派中本山である。
 『作陽誌』によれば、承安2年(1172)讃岐善通寺住持が来て寺務をとったことがある。嘉暦2年(1327)の火災後寺運衰えたと、付近にあった塔中長光寺の背書にあったという。長光寺はじめ天福寺・南房。持宝房・塔婆など、古薬王寺院内にあった建物は、元禄にはその跡が存在したのみであった。
 これを再興したのは近世初期の住職宥阡上人であった。今はなき楼門の銅鐘の銘によれば、宥阡上人は寛永年中に現存の楼門を建て銅鐘を設けた。その後、寛文7年(1667)宥猛上人がこれを改鋳している。
 近世後期の住職では今日の伽藍を楼門を除いて造営した証典と、諸学共に長じていた教範上人、それに金屋井堰築造に身命を賭けた法忍上人がいた。教範上人については、寺宝となっている「教範竹処上人肖像」(四条派岡本常彦筆)に寄せた津山町奉公大村章の撰文によれば。「人に接するに温薐、終日談笑して倦怠の色無」く、時に滑稽にして「聴く者或は頤を解く」、すなわち聞いていると顎がはずれるほど笑わされる。にもかかわらず自分を律するのは「確如」としていて、寒かろうが、暑かろうが、また道がぬかるんでいても「嘗て袈裟を脱せず」、すなわち服装は正しかった。平素から酒肉は食べず淡泊であったが、病重くなった時、肉を少し栄養のため食べるようにすすめたたが、辞して食べなかった。60歳で没したが、ひろく学芸に秀で、書・画・吟詠・茶儀・楳戦・龍笛に通じ、画についていえば、その名は「作州豊常」と称され、光格天皇に絵を献上して下賜された「白銀紫銅松鶴キュウル」の文鎮は寺宝の一つとなっている。
  

年中行事

1月8日 薬師様の縁日、壇開き
旧3月21日 御影供
1月3日 毘沙門天祀り
お盆 たな経

寺宝・文化祭
・本尊「薬師如来」(鎌倉作)
 
檜一本造の檀像であるが光背は後補がある。もと丈四尺の本尊の胎内仏であったが、今はこの一寸八分の像のみ本尊として現存する。
・発掘仏といわれる金銅「勢至菩薩」立像
 
像の前面下部に「賀茂成永、女多治氏」、背面に「承安二年二月廿日」と陽刻がある。
・弘法大師御影像(鎌倉)
・十六善神画像(室町)
・釈迦涅槃画像・五大尊画像
(唐画、文禄役後寄進)