洗滝山 石城寺(真庭市上水田5683)

本尊 薬師如来

開基 行基菩薩

開山 権大僧都大阿闍梨法印宥翁

由緒深さ物語る珍しい巨木

 国道313号線を落合方面に向かって走り、北房町を過ぎ中国自動車道の北房インターの手前、上水田小学校の入口交差点を北に進むと、東に観現寺があり、さらに進むと山の中腹に石城寺がある。町の文化財に指定されている「タラヨウ」と「ラカンマキ」の珍しい巨木(共に周囲約一メートル、高さ約七メートル前後)が本堂の周囲に立っており、同寺の由緒深さを物語っている。
 北房町域には行基菩薩、弘法大師の巡錫の伝説が多く残されており、また寺の開基伝説も多い。「洗滝山石城寺」も例外ではなく、詳細は不明だが、元禄七年(1694)の「元禄検地除地申請」の文書によると、開基は行基菩薩となっている。権大僧都大阿闍梨法印宥翁を開山とし、脇侍に行基菩薩作の日光・月光菩薩、十二神将を携えた本尊の薬師如来(六尺)を安置している。
 また、不動明王、釈迦如来、弘法大師、阿弥陀如来などの諸仏像が残されており、この内、阿弥陀如来も行基菩薩作と伝えられている。「元禄検地除地申請」には往古は七堂伽藍を整えた真言密教道場の霊地であった、と記されており、これらの仏像の多さが当地の信仰の深さを物語っている。
 さらに、寛文六年(1666)四月十二日に建立なる本堂は護摩堂を兼ね、二層屋根で堂々として往古を偲ばせてくれる。
 言い伝えによると、戦国時代、山王城城主の植木道久公は薬師信仰に篤く、城内に薬師如来を祀っていたが、山王城落城後、この薬師如来が石城寺に移され、本尊として建立されたと伝えられている。
 ところで、同寺には一月、五月、九月の十五日に「十五夜供」という行事が残されている。いつ頃から続いているものか不明だが、三ツ住職によるとかなり古く、同寺独自の行事のようである。この日は祈祷札が近所の各地域に配られ、壇信徒は「お鉢米」をお供えするというもの。「日天、月天の信仰から生まれたものではないでしようか」と三ツ住職は語っていた。

正月 御影供・毘沙門天縁日(3日)・十五夜祈願
五月 十五夜祈願
八月 盂蘭盆施餓鬼
九月七日 本尊供・十五夜祈願

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より