福聚山 観現寺(真庭市上水田6147)

本尊 十一面観世音菩薩

開基 大同年間弘法大師

開山 権大僧都大阿闍梨法印宥円

行基菩薩や弘法大師が留錫

 中国自動車道の北房インターから北の山裾に向かうと、小高い山の山頂に福聚山観現寺がある。開山、開基の年号は不詳であるが、行基菩薩と弘法大師が共に錫を留めた言い伝えが残されており、由緒ある真言密教の道場として現在にその法燈を伝えている。
 北房インターから田圃の中を山に向かって進むと、赤いトタン葺きの屋根が目に入る。これが同寺同寺の本堂で、その左に庫裡が建っている。現在はトタンで葺いてあるが、元は平屋の草葺であった。二間四面と決して大きな本堂ではないが、宝永元年(1704)九月の建立で、素朴な趣きを残している。
開山、開基とも年代は不明だが、「元禄検地除地申請」の文書に由緒が記されており、これによると、行基菩薩が諸国巡錫の時、この地に立ち寄り、霊感によって草庵を結んだのが草創とされている。行基菩薩はこの時、自ら丈三尺余りの十一面観音菩薩像を彫刻し安置した。これが現在の本尊であると伝えられている。脇侍には不動明王と毘沙門天が安置されている。
 その後、弘法大師が巡錫し、同寺に近い楢尾山の霊峰に登り、錫杖を留どめて真言密教の道場とした。これが、、同寺の前身である。その後、一時荒廃し廃寺同然になるが、現在は真言宗御室派延命寺(上房郡北房町五名)の第五世法印宥円住職が再興し、鎮守・熊野権現を勧請し改めて開山した。
 その後、宝永元年(1704)九月に同じく住職の宥円法印が楢尾山から現在地に移転し、山号も「福聚山」と改め、現在の平屋造りで草葺きの二間四面の本堂を建立。同寺にとって宥円法印は「中興開山」的存在であり、密教道場として仏道流布と人々の教化に努め、現在に至っている。

正月 修正会
三月 彼岸会
六月 宗祖降誕会
八月 盂蘭盆会・本尊供(18日)
九月 彼岸会

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より