円海山 慈眼院(倉敷市連島町矢柄5636)
本尊 聖如意輪観世音菩薩
開基 貞観元年
中興 貞享年間円海法印
歴住が諸堂を建立、法燈受け継ぐ
高梁川河口の東側にそびえる大平山の南斜面にあたるところに、法輪をもって衆生の願望を成就させるといわれる如意輪観音を本尊とする海山慈眼院がある。ここはかつて宝島寺の寺域として栄えたところで現在も北隣にはかつての中本寺であった宝島寺と、東隣には慈眼院と同じく塔頭寺院だった真如院(聖運寺)がある。
創建当時、慈眼院は円海坊と呼ばれていた。貞観元年(859)に、理源大師聖宝が、宝島寺を創建したのと同時に、塔頭寺院の一つとして円海坊も開創されたと伝えられている。その後、貞享年間(1684−88)に中興第一世の円海法印によって、慈眼院と改称されている。
現在住職を務める鏡原住職は中国三十三世。鏡原住職は、毎月十七曰は本尊講、同じく二十一日には大師講、また、一月一曰から三曰まで修正会、二月十五曰に涅槃会、三月二十一曰の正御影供、三月、九月の彼由岸会、四月八曰の仏生会、八月の棚経会、同十六曰に施餓鬼会などを行ない、檀信徒の教化育成に努め、祖風宣揚、密教興隆、衆生済度の聖業に精進している。
慈眼院の建造物の歴史を見ると、一番古いのは山門で正徳六年(1716)に第六世増性住職によって建立されている。次いで十一年後の享保十二年(1727)に第七世快津住職が観音堂を、さらに九年後の同二十一年(1736)に客殿、持仏堂、庫裡(南側)を建立している。その後、安永四年(1775)に第八世孝津住職が納屋を、また文化四年(1807)に第十二世宜徹住職が土蔵を再建。最後に、天保七年(1836)第十五世宜融住職が庫裡(北側)を増築し、現在の慈眼院が出来上がっている。
増性住職が建立した山門は、明治四十五年(1912)に連島町西の浦の宝隆寺に譲られている。現在の山門は第二十一世の宥山住職が倉敷の玉泉寺から譲り受けたもの。また、快津住職が建立した観音堂は、連島西国霊場十八番札所になっている。
年中行事
正月3日まで | 修正会 | 2月15日 | 涅槃会 |
3月21日 | 聖御影供 | 3月・9月 | 彼岸会 |
4月8日 | 仏生会 | 8月 | 棚経会 |
8月16日 | 施餓鬼会 | 毎月17日 | 本尊講 |
毎月21日 | 大師講 |
『高野山真言宗備中寺院めぐり』より