牛瀧山 歓喜院 善昌寺(倉敷市玉島長尾1833)
本尊 阿弥陀如来
開基 寛永年間理源大師聖宝
東寺の仏師志水民部作の阿弥陀如来
JR山陽新幹線新倉敷駅の北口から北東へ約一・五キロ、山陽自動車道玉島インターから南へ約五○○メートル離れた丘の上に牛瀧山歓喜院善昌寺がある。交通の便にとても恵まれ、また同寺から眺望できる水鳥、倉敷の景観は誠に素晴らしいものである。
広い境内の北手に聳える大きな本堂は庫裡客殿が一体となった横に長い建物になっており、屋根の大棟に施された龍の飾り彫刻は素晴らしいものである。また、向拝に吊り下げられている寺号の書かれた提灯が印象的である。
善昌寺は、理源大師聖宝の開基にして、寛永年間(1624−44)の頃の建立といわれている。元禄年間(1688−1704)の頃に寺院として認められ金剛寺と寺号公称し、享保九年(1724)に院号が下賜ざれ歓喜院と称している。
その後、同寺は二度にわたって再建されたとの記録が残されている。一度目は、今からちょうど百三十年前にあたる元治元年(1864)五月。二度目は、さらに約八十年を隔てた同十二年で、同八年から四年間をかけて再建されている。
本尊の阿弥陀如来は、京都東寺の木仏師・志水民部の作であり、脇には弘法大師像も安置されている。本堂の西側には地蔵堂がある。中には、享保十六年(1731)讃州松尾の松井文左衛門富敬によって寄進されたと伝えられる千体地蔵尊が祀られている。明治二十四年に尊体彩色並びに堂宇の修理が行なわれ現在に至っている。
善昌寺という寺号は、伝えられている一説によると、同寺が寛永十二年(1635)に田辺出雲守義昌の孫某によって開基創建され、「義昌」の諱にちなんで「善昌」と名付けられたとのことである。
境内南側に山門があり、その下には長い石段の参道が続いているが、その山門のすぐ下には、狩野住職が園長を務める社会福祉法人慈明会こばと保育園がある。この保育園は昭和二十六年に「済世利人の真精神に立脚し地域社会の福祉増進をはかり、乳幼児が心身共に健やかに育成され正しい人格のもとが作りあげられるように」との願いで設立され、現在、六十人の園児達が、阿弥陀さんとお大師様のもと元気にすくすくと育てられている。
年中行事
正月三ヵ日 | 般若心経百八巻御祈祷会 | 4月20日 | 土砂加持法要 |
8月23日 | 地蔵盆施餓鬼法要 | その他 | 春秋霊場巡拝 |
『高野山真言宗備中寺院めぐり』より