番山 観月院(倉敷市玉島乙島6328)

本尊 阿弥陀如来

開基 元禄年間道全法院

中興 明治中期中野忍光住職

詠歌・舞踊を通じ、大師信仰を宣場 

 高梁川と国道2号線が交差する霞橋の西詰めを土手浴いに五○○メートルほど南下すると右手に稲荷神社が見えてくる。そのちょうど裏側に番山観月院がある。
 乙島四国八l八カ所第二十一番霊場、備南四国八十八カ所第二十二番霊陽にもなっている観月院は、元禄年間 (1688−1704)に道全法師によって建立されている。小田郡矢掛町と浅口郡鴨方町、金光町の三町にまたがる遥照山山頂には、かって両面薬師(現在の大台宗薬師院)を中心に四十九の寺院があったと伝えられている(遥照千坊ともいわれ、千坊あったという説もある)。
 寛文年間(1661−73) に備前藩主池田光政公が行なった廃仏政策で、当時盛んな信仰を集めていた同山の寺院が焼かれたり壊されたりした時、道全法師がその中の一寺院から不動明王を背負ってこの地へ逃げてきたと伝えられている。
 現在、観月院の本尊は阿弥陀如来となっているが、その時の本尊不動明王をはじめ月輪阿弥陀如来、観世音菩薩、弘法大師などの諸仏も本堂に祭祀されている。毎月二十八日がお不動さんの縁日で、檀信徒らで賑わいをみせている。
 現在の観月院の建物は百年ほど前に火災で焼失した後、第十一世住職にあたる中野忍光尼が再興した。今年十二月から庫裡客殿の改築工事に着手。二年後に完成する予定になっている。
 観月院の住職は、忍光尼以後、尼僧住職が三代続いている。第十三世となる宮内住職は、金剛講の詠匠、また、宗教舞踊「金剛之舞」の準大師範の資格を持っている。毎週水曜日と金曜日がご詠歌講、火曜日が舞踊の練習日で、詠歌、舞踊を通じて大師信仰の宣揚に務めている。
 境内の外れには、歌舞伎「夏祭り浪速鏡」に登場する「一寸徳兵衛」の墓がある。徳兵衛は自分の言ったことを一寸も曲げなかったということで知られている。

年中行事

3月 正御影供 毎月28日 不動さん縁日
毎週水・金曜日 金剛講御詠歌練習日 毎週火曜日  宗教舞踊「金剛之舞」練習日

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より