龍玉山 善福寺 (倉敷市四十瀬223)

本尊 阿弥陀如来

開基 慶長年間玄海上人

鎮守三宝荒神コレラえお封じる

 JR山陽本線倉敷駅から旧国道2号線を西へ約三キロほど進むと、倉敷運動公園野球場が右手に見えてくる。その辺りから左手を見渡すと、銀杏の樹が高くそびえているのが見える。龍王山善福寺の境内に立つ、古くから同寺の目印とされてきた銀杏である。善福寺がこの地に創建されたのは、今から約三百年前の慶長年間(1596−1615)で、玄海上人によって創建されたと伝えられている。もともとは、都窪郡山手村の平山というところにあったといわれ、現在も善福寺の山号「龍王山」の由来である竜王庵の寺跡が同地に遣っている。ちなみに、竜王は、〃雨乞の神〃〃稲作の守護神〃である竜神のこと。岡山県南部は年間降水量一○○○ミリ以下という乾魃頻発地帯で、「備中ひでり」と呼ばれ、稲作などに大きな被害を及ぼしてきた。そこで、「能く雲を致し雨を興す」と信じられていた竜王を山に祀り、信仰の対象としてきた。竜王山と呼ばれる山は、県南部に多く存在している。善福寺の本尊は阿弥陀如来で、脇侍として不動明王、薬師如来が安置されている。山門、本堂、庫裡、鐘楼堂の他に、客殿としても使用されている地蔵堂(晃善堂)がある。ここに祀られている地蔵菩薩は、明治時代に高梁川に流れ  ているところを引き上げられたものである。延命地蔵として地域の信仰を集めている。毎年八月二十四日の地蔵盆には老人会と寺による接待が行なわれ、賑わいをみせる。また、善福寺の鎮守である三宝荒神社は、天保年間(1830−44)にこの地域にコレラが流行したのを封じたといわれ、毎年七月二十七日に「三宝荒神祭り」が行なわれ、子供らをはじめ数多くの人が参拝し荒神護摩供が修法される。宏暢住職は、平成五年三月に晋山したばかりの二十四歳。若い住職に檀家からの期待が寄せられている。また、石渕宏尚前住職は長年にわたって高野山大学と高校で教鞭をとり、英語を教えていた人。高野山高校では、昭和三十八年に野球部の部長並びに監督に就任し、途絶えていた野球部を復興。三年目には甲子園に導くという成績を残している。

年中行事

年頭 お札配り 7月27日 三宝荒神祭り
8月24日 地蔵盆接待   

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より