西岡山 西安寺 龍昌院(倉敷市西岡1774)

本尊 阿弥陀如来

開基 天平勝宝六年鑑真和上

中興 第二十九世良戒和上

鑑真和上が創建し、仏法繁栄の地

 倉敷の市街地を北に向かっていくと、浅原の手前に西岡山と呼ばれる小高い山が見えてくる。その中腹に阿弥陀如来を本尊とする西岡山西安寺龍昌院がある。
まだ新しくて大きな伽藍は、昭和五十九年の弘法大師御入定千百五十年御遠忌大法要の奉賛事業として、先代の良 戒住職(第二十九世)によって建てられたもの。昭和五十二年六月から新本堂建立と老朽建物の整備が始められ、檀 信徒の篤い本尊帰依と尊い浄行により同五十四年十二月に完成している。
 龍昌院は、今から約千二百四十年前の天平勝宝六年(754)に、唐から日本に渡ってきた鑑真和上によって開基 されたと伝えられている。
 古記によれば、天平勝宝年間(749-757)に唐から鑑真和上が仏法を広めるため日本に渡って来て、天平勝 宝六年頃には現在の岡山の地を巡錫したと伝えられている。その時、鑑真和上は、西岡山に七堂伽藍を建立し西安寺を開基。その後、同山は仏法繁栄の霊地となっていた。
 創建当時は、本坊の慈照院を中心に、外に来迎院、義燈院、大智院、宝積院(今の観龍寺)、善勝院、長福寺、多宝院、福樹院、十乗院、持国院、財善院(今の行願院)、龍昌院の山内寺院十二ヵ寺が存在していた。
 今から約四百九十年前の文亀三年1503)から永正五年(1508)の問に、兵火等により十一ヵ寺が壊滅し、 財善院、龍昌院のニヵ寺だけが残された。慶長年間(1596-1615)に再び火災に遭い焼失しているが、その 後両寺院とも復興されている。
 龍昌院に関しては、安政年間(1854-60)の初めに再々度の天災により焼失しているが、安政四年(1857)に再建されている。現在の客殿建物等は、その当時の ものである。
 龍昌院は、京都に仁和寺開創以来、同本山直末寺院として昭和二十一年まで法脈継承されてきた。 昭和二十一年終戦における指令に基づき、既成教団の解体、再結成により高野山真言宗に属している。
 龍昌院から南側を見おろすと、眼下に美しい倉敷の景色が広がる。また、龍昌院から少し降りたところには中野住職が園長を務める龍昌保育園がある。昭和二十五年に開園した同保育園では、現在約百五十人の地域の子供たちが中野住職のもと、仏の子として伸び伸びと育っている。

年中行事

1月第2日曜 初観音・初大師講 5月8日 花まつり
8月 盆修行、納骨堂合同盆供養法会 毎月1回  写経教室、ご詠歌練習日

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より