安生山 楽音寺 西の院 (倉敷市中圧1588)
本尊 不動明王
開山 元和元年増秀法印
愛山護法に燃え一移転した〃中庄のお不動さま〃
倉敷市と岡山市の境辺りの中庄団地の南側に〃中庄のお不動さま〃と呼ばれ不動信仰を一堂に集めているのが、安生山楽音寺西の院である。かって廃仏毀釈から逃れるために檀家が結集して、他の藩領である現在地へ移転された寺院で、愛山護法の念がひしひしと伝ってくる。
同寺は元和元年(1615)真言宗御室派の性徳院の隠居寺として開創されたのが始まりとされている。開山は性徳院第十世の増秀法印で、現在地より北へ約一キロ離れた別府町であった。
寛文六年(1666)、池田藩による寛政の廃寺政策が厳しくなり、同寺の檀家百戸は愛山護法の念に燃え、移転を決意。道一つ隔てて違う早島領戸川藩の領地に移転し難を免れた。この池田光政公による備前領寺院破却から難を免れたのは、同寺一ヵ寺のみで、当時の檀徒の英断がキラリと光る。
その後、法燈は連綿として受け継がれ、明治には西明院を合併。この時代は近くに県下でも二番目という銅山「帯江鉱山」があり、多くの人々が集まり町も繁栄し、お寺も
賑わいを見せた。ところが、大正になって閉山となり、町も衰退したという。
昭和四十九年、第二十三世に晋山した現住職は、倉敷と岡山のほぼ中間で中庄団地があることから「開かれた寺院」 を目指し、毎年一月初不動大祭に柴燈護摩供を奉修し、二十年を超 える。そして、子供の日曜学校や日帰り研修、写経会など積極的に取り入れ、年二回はゴルフコンペも開催するなど、徹底的に門戸を開放した。
平成五年には二百年前に開創されていた「寛政四国八十八カ所霊場」を再興。埋もれていた石仏を掘り出し、お堂を整備し て開創二百年法要を厳修、自らも檀信徒共に巡拝している。 この檀信徒一体となった姿はおよそ三百三十年前、愛山護法に燃えて寺を移転させた時を彷佛させる。
年中行事
1月3日まで | 初まいり | 1月20日 | 書初め写経会 |
1月24・25日 | 寒行托鉢修行 | 1月30日 | 初不動大祭 |
2月15日 | 涅槃会 | 3月 | 春彼岸会 |
4月 | 過去帳精霊総供養 | 4月21.22日 | 寛政四国霊場徒歩巡拝(春秋2回) |
6月 | 日帰り古寺巡拝(春秋2回) | 8月 | 仏教子供修養会 |
12月31日 | 除夜の鐘 | 毎月21日 | 写経会 |
毎月28日 | 護摩供 |
『高野山真言宗備中寺院めぐり』より