南明山 東雲院(倉敷市生坂1416)

本尊 薬師如来

開基 約一千百年前

中興 寛文六年増意

九年に一度勤まる正御影供

 倉敷市の北部、山麓沿いに位置している生坂の地。山陽自動車道・倉敷のインターから岡山へ向かう途中、小一高い 坂の上に、薬師如来を本尊とする南明山東雲院がある。現在同院のある地は、かつて生坂藩主・池田氏の藩屋敷跡だったところ。
 東雲院の開基は約一千百年前に遡る。当初は浅原の安養寺(第四十五番と同所にあったが、建武年間(1334-36)に焼失。その後現在地の西方に移転し、やがて藩屋敷跡の現在地に移った。
 寺伝によると、江戸時代初め、時の藩主・池田新太郎が儒教を擁護したため、生坂に所在する寺の住職、神社の神主らの多くは迫害を受けて、同地を出て行かざるを得なくなった。この時、東雲院の住職・増意はかたくなに仏教を護ってその迫害に耐え、三年間の苦難の末に許されたという。それが寛文六(1666)年で増意は東雲院の中興の祖となった。
 東雲院では九年に一度、正御影供を勤めており、近年では平成六年に当っている。また十年前ほどまでには毎年三月に土砂加持法要を営んでいた。
 東雲院の境内には、昭和二十五年開園の「東雲保育園」(園長・上西住職、六十人)があって、地域の子供達を仏心に基づいて育てている。
 上西住職は中興の祖・増意から数えて十九代目。同住職は、昭和四十八年に倉敷市の市会議員に初当選し、現在五期目を務めている現職。この間、平成三年から平成五年の二月まで議長を務めるなど、倉敷市の市政に辣腕をふるっている。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より