吉祥山 利性院(倉敷市二子1000)

本尊 毘沙門天

中興 元禄六年増正法印

八十八の石仏を配し、信仰の聖地として発展

 旧国道2号をくらしきから岡山方面へ向かうと川崎医大がある。少し過ぎた交差点を吉備津方面へ向かって北へ入ると城のような石垣を組んだ吉祥山利性院がある。裏山の高鳥山(標高約300メートル)には、八十八ヶ所の石仏があり、地元民によって現代にその法燈を受け継いでいる。
 かつて、利性院がある一帯は海であった。高鳥山山頂には海の神として信仰を集める金比羅大権現が、二子地蔵の鎮守として祭祀されている。往時、船で往来しながら参拝していたものと思われる。
 開基は元禄六年(1693)で、増正法印。詳しい記録がないので不明だが、「二子」の知名については、神宮皇后が高鳥山の山頂で双子を生んだ事から名付けられたという伝説も残っており、いずれにせよ、この高鳥山を中心として信仰的にも文化的にも発展していったことを窺い知ることができる。
 現在地から北東へ約2キロ行ったところに「山地」という地があり、毘沙門天が安置されていた。村人がその分身をこの地に勧請したのが草創の始まりとされており、地元民の篤い信仰の足跡を偲ぶことができる。
 また、昭和九年には、裏山の高鳥山に四国八十八ヶ所の石仏を安置。一周約四時間で巡拝することができ、地元の人々にとって高鳥山は信仰の聖地であることがよく窺える。
 こうした地域住民の信仰に支えられた同寺の先々代の巌松洞月仙・第十二世住職は、墨書家として知られている。境内の一角に書斎を構え、壇信徒や愛好家に声をかけて、達磨像や山水画を嗜んだという。現在も檀家には数多く残されており、墨書を通じて布教に精進した巌松洞月仙住職の遺徳が偲ばれる。

年中行事

毎月15日 本尊供 春秋彼岸会 9月 弘法大師正御影供

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より