毘沙門山 日島寺(倉敷市浅原)

本尊 吉祥天

古代吉備の信仰を現代に継承する

 福山合戦で知られる倉敷市街地北部の南麓には、平安時代には安養寺をはじめ「朝原寺」と称する数多くの堂塔伽藍があり、一大聖域を築き上げていた。安養寺(倉敷市浅原1573)に現存する毘沙門天像群や、同寺裏山の経塚から出土した銅造釈迦誕生仏、経瓦、図像瓦まどからも明らかである。その中にあった一宇、総社宮の宮寺を浅原に移転し復興したのが日島寺である。
 現在の日島寺は、同寺を復興した小畑住職の安養寺から東へ自動車で約五分の新興団地の中にある。吉祥天を本尊とし、古代吉備の信仰を現代に継承している。
 小畑住職によると、古代吉備の信仰は南天と北天の融合をしたものである。人間の信仰タイプを大別すると、太陽を信仰するタイプと北極星を信仰する二つのタイプに分けられる。前者が「南天信仰」で後者が「北天信仰」である。日本の場合、天照大神(太陽)と須佐之男命(北極。北斗七星)を融合している。この信仰を現代に受け継いでいるのが日島寺である。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より