善汎山 永昌寺(倉敷市青江791-1)

本尊 大日如来

開基 約三百年前中村伝十郎

焼失を逃れた十三仏の版木

 JR山陽本線倉敷駅の北口から北に向かって二キロほど用水路に沿って進んで行くと善汎山永昌寺が左手に見えてくる。この用水路では、今でも水車が使用されていて、その様子が初秋の風物詩として倉敷の人々に親しまれている。
その用水路に面している永昌寺の山門脇の通用門をくぐり境内に入ると正面に本堂、右手に庫裡が建っている。本堂正面左手には高さ約2メートルの修行大師像が立っている他、地蔵菩薩石像、五輪塔、石塔などが銀杏や松などの樹木の間に所狭しと建てられている。
 境内に敷かれている飛び石を渡り本堂に入ると、まず、壁に掛けられている結願の納経帳の多さに驚く。四国霊場を始めとし、西国霊場、中国霊場など寺を挙げて巡拝に取り組んでいるためである。大正十一年生まれで、現在七十一歳の紀村名誉住職も同行二人の健脚をもって檀信徒を導いている。
 永昌寺は今から約三百年前に、開基されたと伝えられている。当時、馬商だった中村伝十郎が、自分の持つ田地を守る寺として永昌寺を建立したと伝えられている。本尊は大日如来。他に、不動明王、弘法大師像も安置されている。
 永昌寺には、火災で角が焦げた長さ約1.5メートルの十三仏の版木が伝わっている。この版木は、倉敷市郷内林にある熊野十三社権現が今から六十年ほど前に火災に遭遇したとき、誰の手も借りずに自ら近くの松の枝に逃がれて、助かったと伝えられている。少し焦げているが、版をとると、素晴らしい十三仏が浮き上がってくる。約三百年くらい前のものと推定されている。
 永昌寺の行事で一番大きなものは、毎年一月の第一日曜日に行なわれている柴燈護摩供である。境内で紀村住職を 大祇師に修法されるこの柴燈護摩供には県外からの参拝者もあり、境内は多くの人で賑わいを見せる。この時配られる厄除け杓子も珍しいものである。また、 毎月第一日曜日に戦没者供養が行なわれている。以前は、八月十六日に同寺正面の用水路で、灯篭流しも行なわれていた。
 永昌寺の近くには、平安時代い末期に興され、以後数多く の名刀を生み出してきた青江鍛冶の工房がある。青江鍛冶は平安時代に名匠安次によって興され、南北町時代までの間に名工、名匠によって数多くの青江刀が鍛えられ生産されている。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より